yami to hikari

闇と光、 自分にもあり、隣人にもある。

タグ:生きる

昨日は面白いブログを見つけてしまって、貪るように読んでいました。
個人ブログなので紹介するのは避けます。
人生について、深い洞察に基づいた記事なので考えされること多かったですが、
読後感は何故か明るい気持ちになるブログでした。
ハマるとまた今日一日あっという間に終わってしまいます(笑)。
読者登録して、ひと休止いれました。

人生とは真っ暗なトンネルの中を歩いているようなもの

よくわかります。一寸先のことも、私たちは何もわからないのです。
しかし、その文言よりもストンと腑に落ちた言葉がありました。

死は、そのトンネルから明るい所へ我々を引き出してくれる

生が暗で、死が明だという、この感覚。
ちょっと鳥肌が立ちました。

そして起床時、何故かこんなことを考えていた自分を思い出しました。

あの世から見たら、この世こそがあの世

死は忌むべきもの、怖いものという感覚は、本能として大事な感覚です。
その感覚があるから我々は容易に自殺しませんし、人も殺しません。
しかし、いずれ死にゆく者としては、どうにか死を肯定できる事として捉えたい、
そういう思いが私にはあります。

なるほど、死は、トンネルの外側の明るい世界なのか。

なんだか凄く気がラクになりませんか。

その昔、ユーミンが「コンパートメント」という歌を作りました。
自殺を肯定する歌だと批判も生まれた曲です。
その歌の是非はともかく、こんな一節があります。

やがて私は着く すべてが見える明るい場所へ

(しかし「コンパートメント」では自殺者の末路を示唆するように、
「けれどそこは朝ではなく 白夜の荒野です」と歌詞が続きます。
白夜の荒野をほぼ永遠に彷徨う魂・・・背筋が凍ります。)

精いっぱい生きて自然に訪れた死であれば、
あの世はきっと明るい陽が差すような場所なんだろうな。
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私はこうやって時々、「死ぬ」ということを真面目に考えます。
一部の人には「くらーい」と言われそうですが(笑)。
いえいえ、死を考えるということは、生きることを考えるのに等しい。
私はそう常々思ってます。

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生来感受性が強く、自分自身と付き合うのに苦労してきました。
外に目を向けて「あー面倒くさい」とつぶやくのが悪い癖ですが、
実は一番面倒くさいのが自分の心だったりします(笑)。

28歳の時に酷く心を病みました。
詳しく書くのはまたいつかにしますが、
重症になると、立って歩くこともままならないほど、身体が痛むのですよ。
ドーパミンなのかセロトニンなのかよくわかりませんが、とにかく劇的に何かの供給がストップしている感覚で、
便も尿も出なくなり、能面みたいな顔貌と、不自由な身体の動きから、医者もパーキンソン病を疑ったほどでした。(若年性のパーキンソン病は稀)

かなり拗らせてから医者にかかったもので、「なんとか大丈夫だ」と自分で思えるまで5年必要でした。

何を見ても「死」を連想してしまう。
でも死にたい訳じゃないのです。
私はただ、「昏々と眠りたかった」。義務を果たすように一日生きるのが非常にしんどかった。
ずーっと眠っていられたら、ラクだろうなと思ってました。

しかし、まだ2歳のチビ助を遺して眠り続ける訳には行かないぞと、
当時の私にとって生きる理由なんてそれだけでした。
とにかく、死なない一日を積み重ねて行くだけだ、と(笑)。
今日一日、と思っていたのが、1週間になり、1ヵ月になり、半年になり・・・。
2年経ち30歳になったとき、漠然と、「あぁ、何とか人生の折り返し地点まで来た」と思いました。
勝手に自分の人生を60歳に設定しました(笑)。
そう思わないと、当時の自分には人生が長すぎて、やり切れない気持ちになりました。

「もう折り返した」と思うことでかなりラクになりました。
そして、面倒くさい自分と付き合うコツみたいなものを、徐々に掴んでいきました。
それは、「感受性をoffにして生きる」ということです。
そんな生来からあるものを簡単にoffに出来るわけないじゃん!と思われますか。
そう、簡単ではないと思います。でも、今までの自分に限界を感じれば自然にそうなっていきます。
生き辛さを自分で感じながら、「私って感受性が強いの、大目に見て」と周りに発信し続けながら生きることに、私は限界を感じました。

蓋をしても、感受性なんて必要な時に溢れてきます。心配いらない(笑)。
私に60歳から先がもしあるとしたら、それは鈍感婆さんのおまけの人生です(笑)。

    
      自分の感受性くらい   茨木のり子
   
   ぱさぱさに乾いてゆく心を
   ひとのせいにはするな 
   みずから水やりを怠っておいて

   気難しくなってきたのを
   友人のせいにはするな
   しなやかさを失ったのはどちらなのか

   苛立つのを
   近親のせいにはするな
   なにもかも下手だったのはわたくし

   初心消えかかるのを
   暮らしのせいにはするな
   そもそもが ひよわな志にすぎなかった

   駄目なことの一切を
   時代のせいにはするな
   わずかに光る尊厳の放棄

   自分の感受性くらい
   自分で守れ
   ばかものよ
   
   

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