yami to hikari

闇と光、 自分にもあり、隣人にもある。

タグ:死

今、テレビで「火垂るの墓」やってますね。
私的に涙腺崩壊NO1の映画かもしれません(笑)。
このまま見続けると明日目が開かなくなりますね(笑)。
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はじめてこの作品をテレビで観たとき、
声を出して泣いてしまい、それが止まらず、
お風呂場でも暫く泣いていました。
母が心配して「大丈夫かい?」と声をかけたほど(笑)。

「悲しすぎてジブリの中で一番嫌い」と友達は言ってました。
ジブリ映画は言いたいことがわからんようなわかるような、
ぼんやりした感動がいつもあるんですけど、
これは直球で訴えてきますね。やばいです・・・。

戦争で死ぬことが普通だった頃。
お兄ちゃんは母の死に涙をこぼしませんでしたね。

私は戦争で愛する人が死ぬなんて嫌です。
これは理屈ではなく、生涯変わりようのない感覚だと思っています。

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生きてるだけでありがたいんだろうなぁ

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生来感受性が強く、自分自身と付き合うのに苦労してきました。
外に目を向けて「あー面倒くさい」とつぶやくのが悪い癖ですが、
実は一番面倒くさいのが自分の心だったりします(笑)。

28歳の時に酷く心を病みました。
詳しく書くのはまたいつかにしますが、
重症になると、立って歩くこともままならないほど、身体が痛むのですよ。
ドーパミンなのかセロトニンなのかよくわかりませんが、とにかく劇的に何かの供給がストップしている感覚で、
便も尿も出なくなり、能面みたいな顔貌と、不自由な身体の動きから、医者もパーキンソン病を疑ったほどでした。(若年性のパーキンソン病は稀)

かなり拗らせてから医者にかかったもので、「なんとか大丈夫だ」と自分で思えるまで5年必要でした。

何を見ても「死」を連想してしまう。
でも死にたい訳じゃないのです。
私はただ、「昏々と眠りたかった」。義務を果たすように一日生きるのが非常にしんどかった。
ずーっと眠っていられたら、ラクだろうなと思ってました。

しかし、まだ2歳のチビ助を遺して眠り続ける訳には行かないぞと、
当時の私にとって生きる理由なんてそれだけでした。
とにかく、死なない一日を積み重ねて行くだけだ、と(笑)。
今日一日、と思っていたのが、1週間になり、1ヵ月になり、半年になり・・・。
2年経ち30歳になったとき、漠然と、「あぁ、何とか人生の折り返し地点まで来た」と思いました。
勝手に自分の人生を60歳に設定しました(笑)。
そう思わないと、当時の自分には人生が長すぎて、やり切れない気持ちになりました。

「もう折り返した」と思うことでかなりラクになりました。
そして、面倒くさい自分と付き合うコツみたいなものを、徐々に掴んでいきました。
それは、「感受性をoffにして生きる」ということです。
そんな生来からあるものを簡単にoffに出来るわけないじゃん!と思われますか。
そう、簡単ではないと思います。でも、今までの自分に限界を感じれば自然にそうなっていきます。
生き辛さを自分で感じながら、「私って感受性が強いの、大目に見て」と周りに発信し続けながら生きることに、私は限界を感じました。

蓋をしても、感受性なんて必要な時に溢れてきます。心配いらない(笑)。
私に60歳から先がもしあるとしたら、それは鈍感婆さんのおまけの人生です(笑)。

    
      自分の感受性くらい   茨木のり子
   
   ぱさぱさに乾いてゆく心を
   ひとのせいにはするな 
   みずから水やりを怠っておいて

   気難しくなってきたのを
   友人のせいにはするな
   しなやかさを失ったのはどちらなのか

   苛立つのを
   近親のせいにはするな
   なにもかも下手だったのはわたくし

   初心消えかかるのを
   暮らしのせいにはするな
   そもそもが ひよわな志にすぎなかった

   駄目なことの一切を
   時代のせいにはするな
   わずかに光る尊厳の放棄

   自分の感受性くらい
   自分で守れ
   ばかものよ
   
   

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