yami to hikari

闇と光、 自分にもあり、隣人にもある。

タグ:友達

「フレネミー」という言葉を知ってますか。
「フレンド(友)」と「エネミー(敵)」を合わせた造語です。
意味はそのまんま、
表面上は友達を装っているけれど、
中身はその人の足を引っ張りたい!、
陥れたい!とメラメラ敵対心を燃やしている人のことを言います。

その人に近づいた理由は、
その人を不幸にするためだった、
という、何とも恐ろしい悪魔のような存在です。

私は今の職場に来て、生まれて初めて「フレネミー」に出逢いました。
このブログには2回ほど、その人と出かけたことが書いてあります。
削除したいけど(苦笑)、間抜けな自分を戒めるために晒しておきます。

一方的にプライベートで誘われて、ご飯を食べに行きました。
知らない土地で働いて、孤独だった自分に声を掛けてくれた、と
とても有難い気持ちで涙が出ました。
頼りがいのある姉さんみたいな存在だと思ってました。

2回目にご飯に行ったとき、そろそろ帰ろうか、というクルマの中、
何となく会話がかみ合わないというか、
妙に、私の言うことに反論してくるなぁ、と思いました。
いちいち否定してくる、というか。
モヤモヤした気持ちになりましたが、元々気分屋なところがある人なので、
(そういう人だし)
と思い直し、笑顔でお礼を言ってクルマを降りました。
しかし、何とも言えない不快感も感じて、
(もう次の誘いは断ろう)
と、アパートの階段を上りながら思いました。

この、「直観的な不快感」、たぶん大事です。
己の身を守るため、大事だと思います。
(仲良くしたい人に、私はあんな態度取らないなぁ)という部分。

その後、勤務が被るたびにその人から嫌味を言われるようになりました。
(私、なんかしたかな?なんで?)→それは「フレネミー」だったからです(苦笑)。
1か月半、嫌味を言われ続けました。
仕事をする上で、当たり前のように「ありがとうございます」って言うもんじゃないですか。
そしたら、「ふん、仕事なんだからお礼言われても!」って・・。
こういう反応しますか、普通・・・。
こんな調子でことごとく、なんというか、「支配下に置かれた」ような状態で。
「こいつは私の子分」とでも思っていたのかも。

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そんなことが続き、ついに私もキレました(笑)。
まぁバトルですね(笑・おとな気ないよね)。
でも「私はやられっぱなしじゃないからね!」ってとこ見せた方がいいみたいですよ。
てか、「フレネミー」と縁を切るには、バトルは避けられないかもしれません。
わかりやすい切れ方でしたが、
その後「必要最低限しか口利かない状態」が5か月続いてます(苦笑)。
ホントにその人と勤務が被るたびに酷い頭痛が・・・。
いまだに、あの手この手で仕掛けられてますが、しれっとスルーしてます。

とにかく、「フレネミー」は非常に厄介です。
ターゲットが困ったり泣いたりするところが、見たくて仕方ないんだろうと思います。
ホントに、最悪です。

書いてて、中学生の世界みたいだと恥ずかしくなります(苦笑)。
オンナの世界は、50だろうが60だろうが、コドモみたいな人がいるのです。
私もイイ歳こいて、大事な勉強をしましたね。

結構、女友達には慎重で、大人になってから友達と呼べる人は作ってませんでした。
一握りの幼馴染だけが友達です。
その姿勢を崩すべきじゃなかったのかな。
しかし「フレネミー」は、孤独な人、立場の弱い人が大好物。
優し気に近づいてきます。
何故なら、自分が優位に立ち、簡単に支配下に置けるからです。

怖いよね。
何より、人を疑って見てしまう自分が、淋しいよね。
でも、間抜けな私は、少し疑ってかかったほうがいいのかも・・・。

そういえば幼馴染は、私を否定するような事って言わないなぁ。
会話してても、(ん?何それ、どういう意味?)っていう引っ掛かりがない。
そこが「フレネミー」を見分けるポイントかもしれませんね。

7月になりましたね。
梅雨がないはずのでっかいどぅも、
ここ数日ジメジメな日々が続いております。

年度初めは、今頃休職していると思っていました(笑)。
カチンプチンとくることはありますが、
「どこの職場でもあるだろう」レベルに落ち着きました。

まさか50歳にして生まれて初めていじめに遭うとは思わなかったし(苦笑)。
子供の頃は友達が多くて、皆のまとめ役のような立場でした。
小学校5年生の時、
(私は絶対誰かの悪口は言わない!)と心に誓ったのを憶えています。
いつも公平、中立。
しかし中学生にもなると、
そんな姿は「お利口さん」として疎まれることもあるんだ、と感じるように。

(どうして誰かの悪口を言い合うと、女の絆は深まるんだろう)
初潮を迎えた頃から、もうすぐ閉経するであろう現在まで、
ずーっと不思議に思ってることです。
本当になんか血なまぐさい絆。
(そんな絆いらねぇ!)と、
ドロップアウトしたのは息子が2歳、多摩の団地暮らしの頃。
汗をかきながら誰かの悪口を聞き流すのに疲れました。

いつしか、こんなふうに人をみるようになりました。
(この人は人生の終わりまで関わりを持つ人になりうるか)
すごく冷めた見方かもしれませんね。
その場が終われば人間関係も終わる。
子どもの成長と共にママ友も変わる。
仕事を辞めたら職場の人の連絡が絶える。
なんか利害が透けて見えるような人間関係。
やっぱり、(そんな絆いらねぇ!)なのです。

人生の終わりまで関わりの持てる相手、
そう思える人なんて滅多にいないです。
冷めてるかもしれないけど、そういうまなざしは、
かえって自分をラクにします。
(いつか、ちゃんと、終わる)
不毛な人間関係に悩むとき、終わるということが救いになります。

現在「友達」と呼べる人は、
「悪口言わない!」と誓った子供の頃から続く人たちだけになりました。
たぶん死ぬまで壊れることのない絆。
本当にひと握りでいいです。大切にしたいから。
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ちゃーも、ひと握りの中の一匹

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