yami to hikari

闇と光、 自分にもあり、隣人にもある。

カテゴリ: 想い出

昔から私は、人に声を掛けられることが多いです。
ナンパとかそういうのではないですよ(笑)。
道を尋ねられたり、お年寄りに雑談を向けられたり、そういうのです。
たぶん、あまり美人じゃないからでしょう(笑)。
仕事以外は「話しかけないでオーラ」を出してないからかな(笑)。

ナンパは若い頃に数えられるほどです(笑)。
その中でもひとつだけ、強烈に憶えてる不思議な出逢いがありました。
(思い出話なのでここからは苦手な方はご遠慮ください・笑)

イニシアルはJ・P・・・アメリカ人でした。
20代の初め、別れた夫と遠距離恋愛をしてた頃、
初めて独りで訪れた新宿。元夫とのデートの時間まで東京見物していました。
ふらっと入ったダンキンドーナツ。混んだ店内で文庫本を広げ、時間を潰していました。
ふと、自分に近づいてくるトレイを持った大きな影に気づき顔をあげると、
にこやかな外人だ(笑)。思わずどっきりカメラかと思い辺りを見まわしました(笑)。
店内、満席。何故か私の前の席だけが空いていたのでした。

「ここ、いいですか?」
ものすごく彫りの深い顔、ものすごく背が高い、グリーンの瞳。ジンガイだ、どうするべか(笑)。
「どうぞ」
動揺と裏腹にクールな素振りで答えた私です(笑)。ぱたっと文庫本を閉じて。
「とても混んでますね」
綺麗な日本語と柔らかい物腰。どうやら英語はいらないみたい(ほっ)。
まともに外国の方と話したのは初めてでした。
本当に不思議ですが、ほんの数分の会話で一気に打ち解けてしまいました。
地方から来た私に興味を持ったようでした。
彼の出身地はニューヨークの北東にある町ということで、
気候が私の住む北国にとてもよく似ているということ。
「僕がずっと行ってみたかった街です」ワオ、という表情です(笑)。

彼は一枚の名刺を私に差し出しました。ヘンな物売りの人ではありませんでした(笑)。
外資系の証券会社名、彼の苗字?は日本語で「楽園」を意味する単語でした。
「へぇ、とても素敵な名前ですね」
「初めて会った方にもすぐ憶えてもらえますよ」
「私ももう憶えましたよ(笑)」
赤坂に住んでいて、休みの日は皇居周辺をサイクリングしていること。
私の年齢は聞いたのに、自分の年齢はどうしても言いたくないこと(笑)。
そしてお互いドーナツとコーヒーが無くなっても話が尽きません。
私の時間の余裕は2時間以上ありました。
「少し歩きませんか?案内させてください」彼は言いました。

新宿の人ごみの中、彼はゆっくり歩いてくれました。
すでに彼には、自分は婚約者に会うために上京していることを伝えていました。
それでは待ち合わせの時間まで、ということでエスコートしてくれました。
「是非かずみんさんを連れて行きたい場所がある」と言って、
案内してくれたのは裏通りのジャズバーでした。
まだ開店しておらず、外から眺めているだけでしたが、
「よくここに来てるんです。今日も夜行こうと思って」
なんとなく誘われてる気もしましたが、ふわっと流してしまいました(笑)。
まさか20年後、夫と別れるなんて思ってもいなかったので(苦笑)。

話はホント、途絶えることなく、新宿を歩き回りながらあっという間に時間が来ました。
「あなたは他の日本の女性とはどこか違う」
彼が言ったその言葉、どういう意味だったんだろう。
確かに私は都会の洗練された女性とはだいぶ違うし(笑)。
東京の真ん中で暮らすエリートのアメリカ人には、
不思議な生物に思えたのかもしれません(笑)。
当時の私はワンレングスの黒髪で、顔も「和」(笑)、
逆になんか新鮮だったのだろうか・・・。

最後、別れた雑踏は、あれはどこだったのか。
どこかのビルのホール、狭い空間にひしめくように都会の人達がいた。
その中で、人にもまれながら、求められて自分の電話番号を書いたメモを渡しました。
そのまま、私は人に流されてビルから押し出されました。
やっと振り返ると、ひとつ頭抜けて彼の顔が見えました。手を大きく振って。

やがて夫となる人にはひとことも言わない罪悪感(笑)。
一線も超えておらず、てか、触れてさえいないのに。

その後、毎日掛かって来るJ・Pなる外国人からの電話に実家は大騒ぎ(笑)。
「ええ?どうするの?」テンション高い母の問いに、
「どうするのって、婚約者がいることちゃんと言ってあるから」
夫と結婚することに迷いは無かったはずだけど、なんでこんなに憶えているのだろう(苦笑)。

次第に「逢いたい」と深刻になる彼に、私は途方に暮れるようになってしまった・・。
どうしても私の暮らす街に来たいと。ほんとうに街だけが目的だったかもしれないけれど。
「J、私はもうすぐ結婚するの」
それが最後の電話での私の言葉でした。
それから1か月ほどで、彼からの電話は途絶えました。

たった1回逢っただけ、(遭った、という感じか)、そしてなんにもなかったのに、
30年近く経ってもよく憶えています。
BBAとなった今、
「単に友達として北国を案内してあげればよかったんじゃないの?」
自分の娘ほどのあの頃の自分にそう言うかな。
たぶん彼には下心などなく、あったのは「friendly」だったんじゃないかと。
ちょっと怖いなら、私の友達も一緒に会おうよ、とか方法はあったはず。
幼くて、知恵もなかったなぁ・・。

BBAの昔話にお付き合いくださり誠にありがとうございました(笑)。






実家は貧乏でした。
年頃になってから、私は服を買ってもらった記憶がありません。
初めてのブラジャーは母のおさがりでした(笑)。
私がいくらぽちゃだったとはいえ、母のブラはぶかぶかでした。
「ノルウェイの森」の中で、主人公の恋人がブラを2枚しか買ってもらえなく、
洗い替えしながら身につけていたためいつも湿っていてみじめだった、
というエピソードに妙に共感しました。
私も2枚のみ。しかもおさがりじゃ私の方がみじめだろ、と思いました(笑)。
私の乳の形がおかしいのはそのせいです(爆)。

そんなわけで、お金がないことで、進学時は常に親との諍いが起きました。
高校進学時も、なんと母親は公立一本を担任に主張。私立のすべり止めを受けさせない、と。
担任は「お母さん、もし万が一落ちたらどうするんですか?」と驚いて母に尋ねましたが、
ひょうひょうと、「落ちたら働かせます」と答えてました(笑)。
母は中卒で社会に出ているのです。それが普通と思っていたのかも。
担任は、えええええ、という感じ(笑)。
なんとか母を説得してくれました。しぶしぶ、母は私立受験を認めましたが、もし公立に落ちたら働くことになってたんだろうなぁ・・。
そんないきさつで、高校はランクを落とし、絶対合格できるところを受験し行きました。

さて、高校卒業したらどうするか。
私は「こんなバカ高校を最終学歴にしたくない」とか思ってました(笑)。
今の自分の現状考えれば、進学なんてどうでもよかったんじゃないか?と思いますが。
当時は進学することしか考えていませんでした。

高校受験でさえそんな感じだったのに、大学受験なんて親は頭の片隅にも無かった様子。
揉めに揉めました。
しかしその間も模試をせっせと受け、第一志望はボーダー、すべり止めはA判定という結果を親に見せていました。
もちろん親はノー興味です(笑)。

受験はほぼ強行突破でした。
なんとか「受験は1校だけ」という条件をもらい、
貯めていたお年玉貯金を崩し、A判定の出ていた短大を受験しました。
またもや志望校のランクを下げるという妥協です。

結果、合格しました。誰にも喜ばれない合格でした。
入学金を親戚からかき集めてくれた親には感謝しております。
しかし毎日のように嫌味を言われ続けました・・・。
そりゃそうだ、本当に貧乏だったんだから。

やっとの思いで入学したものの、
さて、後期に納入するお金はどうするのか?
こりゃ前期で私は退学することになるだろうな。
交通費やテキスト代をバイトで賄ってるけど、学費までは稼げないわ。

暗澹たる思いでふと教務課の掲示板を見ると、
「奨学生募集」の張り紙が。
しかも「返還なし」だって。

すぐに教務課の職員に尋ねました。
親の源泉徴収票を用意して、書類を提出後審査します、と言われました。
経済状況と入試の得点で決定するとのこと。

親に「短大のお金、タダになるかもしれない」と話すと、すぐ源泉を取ってくれました。
父親の年収、今でもハッキリ憶えてます。

333万円。
扶養家族4名、非課税。

母親がパートして、やっと食べて行けるような年収です。
本当に、私が進学できるような家庭じゃなかったんですよ。
その金額見て改めて、自分ちが貧乏なのを実感しました。

無事に奨学生に合格して、その後の学費は免除になりました。
入学金も就職して家に入れるお金から相殺してもらいました。
小学校教諭の専門科だったのに、教員にもならず、
早くに結婚して(結局離婚してるし)奨学金貰ってまで進学する必要があったのか?

現在正規職員として働いてますが、採用試験の受験資格に「教員免許」とあったので、
その点、免許持っていてよかったなぁと思います。
50歳手前で、専業主婦歴が長かった私が、正規職員として社会人に復帰できたのはこの免許のおかげです。
もし今後児童福祉職に転職するにしても、有利なのは間違いない。
と考えると無駄じゃなかったのかな。

資格とか免許って、思いがけないところで役に立つことがありますよね。
前にも書きましたけど、今後は保育士の資格習得を考えています。
私は勉強嫌いです(笑)。でも知識の吸収は大好きです。
堅く考えず「保育士に関する知識を引き出しにストックしよ~っと」と思ってます(笑)。

知識の吸収が大好きな子どもが、
親の経済的事情で進学を断念しなければならないのはとても残念です。
上位校へ進学しないと就けない仕事もたくさんありますし。
現在、学費がどんどん高くなっていて、国公立の大学でさえ、進学をあきらめなくてはならない子どもたちがいます。
国の偉い人!血税は社会福祉の充実のために使っていただきたいです。
貧乏な家に生まれるのは仕方ないにしても、
平等なチャンスを子どもたちに与えてください。

かつて貧乏だった(あ、今もか・笑)私は切にそう思います。

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扶養は猫のみ

いつものやつです(笑)。毎度これだったね。
何だかんだ言って、これが一番美味しいので。

明治チョコレート に対する画像結果
バレンタインデーの想い出か・・ほろ苦いものしか思い浮かばない・・・。
中3のとき、2年間思い続けた男子に無理やり押し付けたチョコレート。
渡す場所に予定していた体育館前は、何故かギャラリーがいっぱい・・・。
うちのクラスの意地悪女子が、私が渡すことをみんなに広めたのであった・・・。

「いいよいいよ、いらない」「あげるって」「いいって」「もらってお願い」

必死で渡した後、冷やかすギャラリーの間を走り抜け・・・
あんな惨めな気持ちってなかったなぁ。

青少年の皆さん、チョコレートぐらい素直に貰いましょう(笑)。

それ以来、バレンタインデーはトラウマになり、
暫く男の人にチョコレートを渡すことはありませんでした。
うーん、改めて考えるとこの出来事って大きいかも。
男性恐怖と女性不信の源泉?(笑)。大げさだけどね。

今の若い人たちはもっとフランクな感じでバレンタインデーを楽しむのでしょうね。
私は切腹する武士の気分で渡したんだよね(笑)。ピュアといえばピュアだったのかなぁ。

今の仕事に就く前に、私がやってみようと本気で思った仕事、それがタクシードライバーでした。
今思うと何と大それたことを・・・と思うのですが、本気でした。
それまでスーパーの6時間パートで食い繋いでいたけど、
3回ギックリ腰をやった身には立ち仕事はキツく、
身体の負担が少ない事務仕事は、40代後半を雇ってくれるような所なんて少なく、
しかし、今正社員にならないともう後がない、という焦りから、
辿り着いた答え、「タクシードライバー」。

面接に行ったのは、地元の大手、評判の良いタクシー会社でした。
60歳手前ぐらいの面接官の方、渡した履歴書に目を落とし、やや暫くして、
「・・・どうしてうちに?」
教育系の短大を出て、事務畑で働き、専業主婦歴も長かった私です。
イコールで結びつかない仕事ですよね。
どう答えていいのかわからず、
「離婚しまして・・・何とか食べて行かなくてはならず・・・立ち仕事をしてたんですが身体もキツくなって・・・えーと・・・」
本気でなろうと思ったから面接受けたんですが、突っ込まれると志望動機が実に曖昧なことに自分で気づきました。
面接官の方はざっくばらんな元運転手さんという感じの方で、そのあと色々説明してくださいました。

・女性は日勤オンリー
夜勤は危険なので老人と女性は日勤のみです。
・日勤の給料は11万ぐらい
定時より皆さんかなり早く出てます。それぐらい頑張って11、2万ぐらい。
・日勤には保証給制度はありません
保証があるのは隔日勤務です。
・クラッチ車です
クラッチだけど大丈夫?どうしてもオートマが良ければ考えますけど基本はクラッチ車です。
・2種免許取りに行ってもらいます
提携してる教習所だからまず落ちることはないよ。
・この辺の土地勘ある?
うちはほとんどこの近隣のお客さんが近距離利用するの。この辺は入り組んでるけど大丈夫?

・・・他にもいろいろ詳しく、丁寧に、1時間半ぐらいの時間を割いて説明して頂きました。
自分の認識不足が、甘さが、途中からとても恥ずかしい気持ちになりました。
思ってたよりずっと、タクシードライバーって大変な仕事なんだ・・・!!

最後に面接官は私に名刺を下さいました。
「〇〇さん、もう一度家に帰ってよく考えてみて。それで気持ちがはっきり決まったら電話ください。そしたら私、すぐ教習所押さえて採用の段取りしますから。もう一度考えてみて」

考える猶予が与えられました。帰り道、運転しながら私は「無理だ」と、もう結論を出していました。
歩合でご飯を食べて行くということ。景気回復を実感できない世間でそれは厳しい。
ドライバーさんは2時間も早出しているとは。それでそんなお給料とは。
そんなに厳しい世界でたまに出会う、愛想の良いドライバーさんは神かも。自分には無理!
しかも私、方向音痴じゃん(爆)

なにか酷く凹んで帰宅しました。本当に自分の考えが浅かったことに凹みました。
実家の一同も満場一致で不可。
自分からタクシー会社に電話することはありませんでした。

しかし、もし他のタクシー会社だったら?あの面接官じゃなかったら?
もしかして今、私はタクシードライバーだったのかも?
歩合が稼げずに大変な思いをしている姿が目に浮かびます。
いや、もうとっくに務まらずに辞めているかも・・・。

そう考えると、この道で良かったのかも、と思えます。
不満も不安もたくさんありますが、ありがたい現状なのかもしれませんね。

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訳あって人生初の独り暮らしをすることになったのは、つい最近のことです。
数年前、東京都下のある場所で、家賃2万4千円のアパートに住んでいました。
駅から徒歩7分、間取りは3畳の台所、4畳半、6畳の畳の部屋、と広く、
その条件だけならその界隈では6万はするんじゃないでしょうか。
ただ、古い、ボロい。築50年超で歪んでいる(笑)。
そして風呂が無かった・・・。

通販でデカいゴミ用ポリバケツを購入し(ゴミペール?)、風呂替わりにしました(苦笑)。
ゴミバケツに入りまず身体を洗う。流しの給湯器でお湯を沸かし、湯桶で汲んで石鹸を流す。
しゃがめません。おけつが嵌ります(笑)。終わったらよいしょとゴミバケツ内のお湯を流しに捨てます。
その後、流しで髪を洗う。
それが毎日の入浴で、仕事が休みの日は銭湯に行ったり、お風呂を貰ったり。
この入浴法を友達に電話で話したら爆笑してました(笑)。こんなちょっと悲惨な状況を笑い飛ばせる友がいて良かった(笑)。

面白いことはまだあって。
住人がとにかく謎めいていました(笑)。
向かいの同じ形態のアパートには、中東の方が集団で住んでいたり、
その階下のお爺ちゃんは韓国語の歌を大声で歌っていました。
私の隣人のおじさんは毎日家にいるらしく、うすーい壁の向こうから音楽がよく流れてきました。
それが14時であろうが2時であろうが、お構いなしに流れてくるのです。
五輪真弓であればその日一日中五輪真弓が、
りりぃならば一日中りりぃが、
出勤前に聞こえてた歌が帰宅後も聞こえるという無限ループ。
そしておじさんは話好き。独り暮らしのはずなのに話好き(笑)。
ずーっと喋っているのです。やはり、14時であろうが、2時であろうが。
朝方、おじさんの叫び声で目が覚めたこともあります。
何か発作でも起こしたんじゃないかと心配になりましたが、
少しすると五輪真弓が流れてきて安心しました(笑)。

おじさんのことはもう、笑うしかないな、と途中から諦めました。
だって、この家賃だもの。難があって当たり前じゃん、と。

アパートから10数メートルの道路を、トラックが通ると震度3の揺れを感じます(笑)。
だけど何故か私はあのアパート、気に入ってたなぁ。
続き間の襖を取っ払うと広々として、南は一面窓で日当たりが良く、
隙間だらけなので外の空気が入ってくる。季節を連れて来る。
春先は土の匂いがして、何故か妙に落ち着いた。もう少し頑張れる、と思ってた。

あのアパート、去年壊されたって聞きました。
もう何処にもないけど、心にだけ存在するもの、また増えました。

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