「置かれた場所で咲きなさい」

最近、よく目(耳)にするこの言葉。
率直に言うと、私はこの言葉が嫌いです。

まず、「置かれた」って受動体。
「そう簡単に自分の人生選べないよ」
ってニュアンス感じます。
確かに人生そう甘くない。
実際、選べない現実に右往左往している自分ではあります。
でも、「置かれた」ら、自分で移動しちゃダメなんですかね。
よそに行ったらダメなんですかね。
自分の人生、誰かに「置かれ」ることに、違和感はないですか?

そして、なんなんですか、「なさい」って命令口調は。
咲かないと、ダメなんですかね。
咲けなかったら、どうすれば良いのですか。
咲きたくても、咲けなかったら。
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先日、テレビで観ました。
この言葉がデカデカと黒板に書かれている、卒業式の教室の風景。
アナウンサーは、
「なんか涙が出そう、感動しちゃって」
とか言ってました。
私は、心がヒリヒリしました。

学業優秀で、友達にも恵まれ、家庭も安泰。
そんな子どもはこの言葉に素直に感動するでしょうね。
「よし、進路でも頑張るぞ!」
そう思えるでしょうね。

でも、何かに躓いてしまった子どもはどう感じるでしょう。
この言葉を読んで、自分は脱落者のように感じませんか。
(置かれた場所で咲けませんでした・・・)
(だから次の場所でも咲けないかもしれません・・・)
すごく傷つきませんか。

道の真ん中にぶっ倒れたランナーの耳元で、
でっかい声で、「頑張れ頑張れ」と叫んでるような。

「置かれた場所で咲きなさい」
とても強く、美しく、無慈悲な響き。
勝ち組が、勝ち組を叱咤激励するときに使う言葉。
弱者の傷に塩を擦り込むような言葉。

私にはそう思えます。

咲けそうな場所を探していいんだよ。
そして、咲けなくってもいいんだよ。

「置かれた場所で咲きなさい」
という言葉は、だれかれ構わず掛ける言葉ではないと思います。
むしろ、
「置かれた場所で咲こうなんて、そんな無理しなくて良い良い!」
と言われた方が心がラクになりませんか?(笑)。